第1.モデル事業
1.高次脳機能障害支援モデル事業
厚生労働省は、2001年~2005年度までの5か年計画で高次脳機能障害支援モデル事業を実施した。
国立身体障害者リハビリテーションセンターと全国12地域の自治体との連携により実施された。参加自治体は次のとおりである。
北海道・札幌市、宮城県、埼玉県、千葉県、神奈川県、岐阜県、三重県、大阪府、岡山県、広島県、福岡県・福岡市・北九州市、名古屋市
なお、地方支援拠点機関等全国連絡協議会などは、モデル事業が終了時期である平成18年3月以降も続けられているようである。
2.モデル事業後の内容
⑴各自治体においては、支援対策整備推進委員会を設置し、個々のケースについての支援ニーズの評価を行うとともに、当該地域における事業の円滑な運営のため、地域の実態把握、関係機関の連携確保、事業の実施状況の分析、効果的な支援手法、普及啓発方法等について、総合的な検討を行う。
⑵各自治体においては、支援の拠点となる機関を指定して、そこで「支援コーディネーター」を配置し、平成15年までの事業で作成された支援プログラム等を活用して、支援対象者の社会復帰支援のため、支援計画の策定や継続的な調整を行う。
⑶国立身体障害者リビリテーションセンターは、15年度までの事業で作成された支援プログラム等を活用してサービスの試行的提供を自ら実施するとともに⑴、⑵の支援対策整備推進委員会及び拠点となる機関と連携して全国に普及可能な支援体制の確立に向けた検討に取り組む。
3.モデル事業後の成果
⑴ 判断基準の作成
診療報酬請求、障害者手帳申請時に用いられることを予定している。
⑵ 高次脳機能障害標準的訓練プログラムの作成
Ⅰ.医学的リハビリテーションプログラム
Ⅱ.生活訓練プログラム
Ⅲ.職能訓練プログラム
に分けて策定されている。
訓練期間は、医学的リハビリテーションプログラムは最大6か月実施するとされ、種々のサービスを連携して合計1年間の訓練が望ましいとされている。
*平成16年4月から「高次脳機能障害診断基準」に基づいて高次脳機能障害と判断された場合、診療報酬の対象とされることになった。また、平成18年4月から脳血管障害のリハビリテーションの限度180日を超えて訓練を受けることができるようになった。
⑶ 高次脳機能障害標準的社会復帰・生活・介護支援プログラムの作成
「支援コーディネーター」が相談窓口となって、支援ニーズ調査、支援計画の策定、実施を行うこととされている。
支援内容としては次のものがある。
①就業支援
②就学支援
③授産施設支援
④小規模作業所等支援
⑤就業就学支援
⑥在宅支援
⑦施設生活訓練支援
⑧施設生活援助
例えば、①の就労支援であれば、支援コーディネーターが自ら支援を実施することもあるが、リハビリテーションセンターや福祉施設の就労支援部門、または、障害者職業センターなどの職業リハビリテーションの専門機関などの適切な支援実施施設や機関を選択し依頼することが予定されている。そして、その際、支援コーディネーターは当事者の医学的情報やそれまでの訓練状況などをなどを的確に伝えるとともに、支援の進捗状況を継続的に把握しておく必要があるとされる。
支援コーディネーターによる支援については、その実施の際に用いる所定の診断書や申請書、判定表などが既に細かに用意されている。
(以上、平成18年7月「高次脳機能障害者支援の手引き」より)
次のような指摘がある。
①標準的プログラムでは、医学的リハプログラム、生活訓練プログラム、職能訓練プログラムに分けられている。医学的リハを取り上げると、注意障害、記憶障害、遂行機能障害等があげられ各障害別に国内外に市販されている訓練課題等が羅列されているものの、どの課題をどの程度施行するかの具体的な手順や各手法の有効性に関する科学的根拠は明確ではない。さらにモデル事業で独自に開発ないしオーソライズした訓練プログラムも提示されていない。
②「支援コーディネーター」は、「高次脳機能障害の確認、医学的・社会的情報の入手、申請受理の可否決定、総合相談」等の極めて広範囲な役割を担うように設定されている。しかし、「高次脳機能障害の確認」から適切な環境支援までこなす、といった高度な医学及び専門的福祉知識をあわせもつ担当者が我が国に存在するかどうか疑わしい。当面は複数の職種による「支援コーディネイト委員会」等による代用を許容する柔軟な施策が望まれる。(以上、本田哲三「高次脳機能障害リハビリテーションの課題と展望−医療サイドから」JOURNAL OF CLINIAL REHABILITATION 2007年1月号 p40)
【発表者のコメント】
〈訓練プログラムについて〉
「その効果は世界的にも注目されているというのに、わが国の医療機関では、集団療法がリハビリとして認められないということは全く理解できない診療報酬制度である」(東川悦子「解決に確かな道筋が期待できるのか−患者・家族から」JOURNAL OF CLINIAL REHABILITATION 2007年1月号 p43)と指摘されているが、本訓練プログラムでも患者家族の要望が強い集団療法(集団認知リハビリ)に、十分な位置付けが与えられていないように見える。
〈支援プログラムについて〉
現実にこのようなプログラムが動き出せばすばらしいことであると思う。けれども、本田医師の指摘するように、このような支援システムを担えるだけの能力を備えた「支援コーディネーター」を確保できるのか疑問があるうえ、行政にこれに対応できるだけのマンパワーがあるのかどうかも心配である。かけ声倒れに終わらないことを願いたい。
大阪近辺で支援の拠点となっている機関は、大阪府立身体障害者福祉センターであり、訓練プログラムも支援プログラムも同センターが中心になって実施していると思われる。同センターが患者にどの程度利用され、どのような評価が利用者からされているのかはわからない。私の依頼者で、同センターの支援を受けている人はいない。
大阪府立身体障害者福祉センターのホームページには、同センターが高次脳機能障害者の相談窓口であることの表示すらなく、十分な広報がなされていないのではないかとも思える。
これに対して、同じく支援拠点機関である三重県身体障害者総合福祉センターのホームページを見ると、同センターでは様々な支援活動が試みられているように見受けられる。取り組みに大きな地域格差が生じているのかもしれない。「三重県の取り組みは進んでいる」という話を被害者の方から聞いたこともある。
4.モデル事業後の成果がわかる文献
2004年3月には、平成13年度~平成15年度の、まとめとして「高次脳機能障害支援モデル事業報告書」発行されている。
同報告書には調査結果の外に、高次脳機能障害診断基準の策定、高次脳機能障害標準的訓練プログラム(案)、高次脳機能障害標準的社会復帰・生活・介護支援プログラム(案)が公表されている。
また、平成18年7月に「高次脳機能障害者支援の手引き」が下記ホームページで公開されている。
高次脳機能障害者支援の手引き(外部HPへ)
平成18年10月には、モデル事業に参画した委員により、「高次脳機能障害ハンドブック (診断・評価から自立支援まで)」(医学書院、4200円)が公刊されている。
さらに、JOURNAL OF CLINIAL REHABILITATION 2007年1月号において、「高次脳機能障害にリハビリテーションはどう変わるか−モデル事業の経験をとおして」という特集が組まれている。
第2.モデル事業が策定した診断基準
1.モデル事業が策定した判断基準
Ⅰ.主要症状等
1.脳の器質的病変の原因となる事故による受傷や疾病の発症の事実が確認されている。
2.現在、日常生活または社会生活に制約があり、その主たる原因が記憶障害、注意障害、遂行機能障害、社会的行動障害などの認知障害である。
Ⅱ.検査所見 MRI、CT、脳波などにより認知障害の原因と考えられる脳の器質的病変の存在が確認されているか、あるいは診断書により脳の器質的病変が存在したと確認できる。
Ⅲ.除外項目
1. 脳の器質的病変に基づく認知障害のうち、身体障害として認定可能である症状を有するが上記主要症状(I-2)を欠く者は除外する。
2.診断にあたり、受傷または発症以前から有する症状と検査所見は除外する。
3.先天性疾患、周産期における脳損傷、発達障害、進行性疾患を原因とする者は除外する。
Ⅳ.診断
1.Ⅰ〜Ⅲをすべて満たした場合に高次脳機能障害と診断する。
2.高次脳機能障害の診断は脳の器質的病変の原因となった外傷や疾病の急性期症状を脱した後において行う。
3.神経心理学的検査の所見を参考にすることができる。
なお、診断基準のⅠとⅢを満たす一方で、Ⅱの検査所見で脳の器質的病変の存在を明らかにできない症例については、慎重な評価により高次脳機能障害者として診断されることがあり得る。
また、この診断基準については、今後の医学・医療の発展を踏まえ、適時、見直しを行うことが適当である。
* モデル事業の作業班の中島八十一氏は、「検査所見」について、「機器にはMRI、CT、脳波等と書かれているが、PETやSPECTであっても構わない」と述べている(「オーバービュー−モデル事業で高次脳機能障害へのアプローチはこう変わる」(JOURNAL OF CLINIAL REHABILITATION 2007年1月号 p14、「高次脳機能障害ハンドブック」p17)
2.自賠責保険の基準との差違
⑴ 意識障害は必須の要件か
平成12年12月18日付け報告書(「自賠責保険における高次脳機能障害認定システム」)では、次のように述べて外傷直後の意識障害が認定のための要素としている。
脳外傷において外傷直後の意識障害が6時間以上持続持続するケースでは、永続的な高次脳機能障害が残ることが多い。ここでいう意識障害の程度としては、昏睡~半昏睡で、刺激により開眼しない程度(JCSが3桁、GCSが8点以下)が目安となる。また、健忘症~軽症意識障害(JCSが2~1桁、GCSが13~14点)が1週間程続いても、高次脳機能障害を残すことがある(以上、同報告書p3)。
平成19年2月2日付け報告書(「自賠責保険における高次脳機能障害認定システムの充実について」)では、次のように述べられている。
当委員会の判断としては、現在臨床において一般的に実施されているCT、MRI等の検査において外傷の存在を裏付ける異常所見がなく、かつ、相当程度の意識障害の存在も確認できない事例について、脳外傷による高次脳機能障害の存在を確認する信頼性のある手法があると結論するには至らなかった。従って、当面、従前のような画像検査の所見や意識障害の状態に着目して外傷による高次脳機能障害の有無を判定する手法を継続すべきこととなる(以上、同報告書p11)。
*労災については、「MRI、CT等によりその存在が認められることが必要」とされているのみで(労災認定必携p140)、意識障害の存在の有無については特に触れられていないようです。
【発表者のコメント】
現時点では、少なくとも自賠責レベルでは、受傷直後の意識障害の存在は必須と見なければならないと思います。ただ、注意しなければならないのは、JCSで1桁レベルの意識障害は、診断にあたった医療機関に見逃されて、「意識障害なし」と判断されている可能性があることです。そのような事案については、受傷後搬送された病院のカルテを取り寄せた上で、見当識障害を示す、被害者の言動などが記載されていないか分析する必要があると思います。私の担当事件で1件そのような事案があります。
⑵ 画像所見について
モデル事業では、PETやSPECTであっても構わないと考えられているようですが、自賠責の考えは異なります。
自賠責が、経時的な画像資料で脳室拡大・脳萎縮等が確認できることを重視していることは周知のところですが、そのような画像資料がない場合はどうかということです。
平成19年2月2日付け報告書は次のように述べています。
①MRI及びCTについては、引き続き有効な資料であることを確認した。
②PETによる脳機能検査所見を、因果関係の有無や障害程度判断の根拠とするには、検査手法としてなお一層の確立を待つことが穏当と整理した。
③MRS(陽電子磁器共鳴スペクトロスコピー)、拡散テンソルMRI、NIRSによる脳血流評価などの検査手段についてもなお一層の検査法としての確立を待つことが穏当と整理した。(以上、同報告書p12~13)
【発表者のコメント】
SPECTについては触れられていませんが、否定的なのかなと思います。
第3.自立支援法のもとでの高次脳機能障害
1.自立支援法と高次脳機能障害
平成18年4月1日より、高次脳機能障害は精神障害として障害者自立支援法によるサービスの対象になったとされている(大阪府が発行している「高次脳機能障害を正しく理解していただくために」というリーフレットにはそう明言している)。
モデル事業がどの程度影響を与えたのかはわかりませんが、支給するサービスの決定に際してもとめる医師の意見書の様式は、高次脳機能障害に対応できるものになっています。
2.発表者が担当した被害者の例
⑴ ケース1 10代前半の男児
自賠責等級:脳外傷による左片麻痺、高次脳機能障害等自賠責1級
[自立支援法下の1か月あたりの介護給付]
身体介護中心10時間 外出介護中心30時間(平成18年4月から)
*平成18年3月以前は、児童福祉法の下で、同種類・同時間のサービスを自己負担額なしで受けていた(平成18年4月以降は1割負担)
⑵ ケース2 30代男性
自賠責等級:脳外傷による高次脳機能障害等自賠責1級(麻痺等の四肢の障害はない。てんかん発作が頻繁)
[自立支援法下の1か月あたりの介護給付]
家事援助54時間 外出介護を伴う居宅介護21時間(平成18年4月から)
*平成18年3月以前は、精神障害者福祉法の下で、家事援助週6回、1回2時間、身体介護週1回、1回4時間の限度でサービスを自己負担額なしで受けていた(平成18年4月以降は1割負担)。
⑶ ケース3 20代男性
自賠責等級:脳外傷による高次脳機能障害自賠責2級(身体障害は軽度)
[自立支援法下の1か月あたりの介護給付]
移動支援51時間 (平成19年1月から)
*平成18年12月以前は、公的な介護給付サービスが全く受けられず、全て自費で利用していた。