交通医療研究会

非器質性精神障害(うつ症状)

2023.05.18

第1.問題意識

1.軽度外傷性脳損傷(MTBI)の後遺障害等級認定の著しい困難さ
いわゆる軽度外傷性脳損傷(MTBI)(Mild Traumatic Brain Injury。以下、 MTBI)について、高次脳機能障害として後遺障害等級が認定される可能性は、経験上かなり低い。
例えば、
ⅰ)高次脳機能障害を疑わせる症状があるものの、画像又は意識障害の所見が認められない場合(「他覚所見」が認められない場合)
ⅱ)高次脳機能障害の疑わせる症状があるものの、事故から一定期間経過後に発症した又は症状が悪化したと認められる場合(「事故との相当因果関係」が認められない場合)
である。
被害者請求や裁判において、上記ⅰ)やⅱ)の場合に、(画像を探す努力をして)高次脳機能障害を主位的に主張としつつも、非該当とならないよう非器質性精神障害たる鬱症状について予備的に主張・立証する必要があると思われる(MTBIで自賠責非該当、裁判で予備的主張の鬱症状として14級認定にとどまった事例(後記判例⑨)を経験したことによる問題意識)。

2.損害論の比較(高次脳機能障害と非器質性精神障害)

 第1.問題意識

⇒「うつ」は、高次脳機能障害と比較すると、鬱は損害論的にはかなり低額(1/10~1/100?くらいの大差)になることは否めない。

第2.精神医学における鬱症状一般

1.精神医学における伝統的診断と操作的診断
伝統的診断手法:病歴を聴取するなど全人格的に理解して診断しようとする。
長所:抜け落ちる症状がない
短所:症状=疾病となってしまう(病名が非常に多くなる)
医師によって判断がまちまち。
操作的診断手法:ICD-10、DSM-Ⅳなど個々の疾病に診断基準が列記されており、そのうちのいくつかを満たせば疾病と診断する。
長所:どんな医師、看護師、学生が使用しても同じ結論(統計処理が可能となる、国や地域にとらわれずに研究が進めることができる)
短所:思考が自閉化(診断基準自体の妥当性や疾病相互間の関係を見落としやすくなる)
疾病を単純化したあくまで「とりあえずの分類」(スクリーニング用)である点を看過しやすい。

2.DSM-Ⅳにおける鬱
躁鬱病の研究から「鬱」について分類が変遷していった(文献としては躁鬱や統合失調症に関するものが多い)。
DSM-Ⅳでは、気分障害を大分類として①双極性障害(いわゆる躁鬱病)、②鬱病性障害(大鬱病性障害と気分変調障害)に分けており、②が本レジュメで議論している「鬱」となる。
下記のDSM-Ⅳの診断基準であてはめる限り、MTBIの患者の症状は、鬱病の診断基準を満たすことが多そうである。
ただし、とりあえずの分類であり、自賠責や労災の後遺障害として評価されるのか、後遺障害等級がどれくらいかの情報をDSM-Ⅳから得ることはできそうにない。
A:以下の症状のうち5つ(またはそれ以上)が同じ2週間の間に存在し、病前の機能からの変化を起こしている。(これらの症状のうち少なくとも1つは抑鬱気分または興味・喜びの喪失である)
1:その人自身の訴えか、家族などの他者の観察によってしめされる。ほぼ1日中の抑鬱の気分
2:ほとんど1日中またほとんど毎日のすべて、またすべての活動への興味、喜びの著しい減退。
3:食事療法をしていないのに、著しい体重減少、あるいは体重増加、または毎日の食欲の減退または増加。
4:ほとんど毎日の不眠または睡眠過多
5:ほとんど毎日の精神運動性の焦燥または制止
6:ほとんど毎日の易疲労性、または気力の減退
7:ほとんど毎日の無価値感、または過剰であるか不適切な罪責感
8:思考力や集中力の減退、または決断困難がほぼ毎日認められる。
9:死についての反復思考、特別な計画はないが反復的な自殺念虜、自殺企図または自殺するためのはっきりとした計画
B:症状は混合性エピソード(双極性障害のこと)の基準を満たさない
C:症状の臨床的著しい苦痛また社会的、職業的、または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている。
D:症状は、物質(薬物乱用など)によるものではない
E:症状は死別反応ではうまく説明されない。すなわち愛する者を失った後症状が2ヶ月を超えて続くか、または著明な機能不全。無価値への病的なとらわれ、自殺念虜、精神病性の症状、精神運動制止があることが特徴
3.「鬱」の鑑別のための客観的検査(画像など)はあるのか
現在は、統合失調症、双極性障害そして大鬱との鑑別のために研究中のようで、f-MRI、NIRS(近赤外線スぺクトロスコピー)などがある。
f-MRIは、被験者に課題を施行させ、課題遂行中の脳血流の変化を見る検査である。鬱病者は、陰性感情刺激に対し情動処理中枢の扁桃体の過剰賦活や陽性感情刺激に対し海馬や皮質各部位の賦活低下、快刺激予測時の左前頭前野の低下、不快刺激予測時の右前頭前野、前部帯状回野の過活動が見られるという。
NIRSは、大脳皮質のヘモグロビンの変化量を計測する。鬱病者は、前頭極部で変化量が優位に減弱するという。
ただ、SPECTと同様に機能検査なので、自賠責や裁判で有用か否かはわからない。

第3.精神医学からみた頭部外傷後の鬱症状

1.MTBIと鬱の鑑別が可能か
MTBIを直接の原因とする後遺症(イライラ、記憶力低下、集中力低下など)は、MTBIの数%とされるが、上記の後遺症の症状は、健全な成人群でも見られるという。同じ著者がMTBIによる症状としてあげる症例は賠償問題が絡まないことを一要素としてあげており、賠償問題が絡む交通事故では、MTBIか鬱かを確定的に判別できないようである。
⇒医師もMTBIと鬱を明確に区分できる基準はなく、診療経過や賠償問題がからむかなどの諸々の事実から区別しているのが現状。
H医師は、現在の精神科の知識の限界と率直に認めている。

2.頭部外傷後に鬱が発症しやすいこと
①頭部外傷患者は、高確率で鬱を発症、②受傷から1年以内に発症することが多い、③鬱病が発症すると症状が強まるとされ、頭部外傷により鬱が発症しやすいことは、裁判の場で非器質的精神障害を根拠づける証拠として使用できる可能性がある。
また、頭部外傷後に鬱を発症しやすい因子として、①高齢、②社会的機能の低下、③なんらかの社会的ストレス、失業中、④受傷前の鬱病障害、社会適応障害など
また、鬱症状は、SSRI(選択的セロトニン再取込阻害薬)の処方で改善する(器質的障害である高次脳機能障害ではないから改善がみられるのか?)。
⇒私見だが、受任時には画像と意識障害について確認したうえで、いずれも認められない場合には、①症状の発症時期(事故から1年以内か)、②投薬内容や③事故前の性格(治療歴)も聞きとり、高次脳機能障害ではなく鬱での後遺障害等級認定を目指す必要があるかもしれない。

3.頭部外傷はアルツハイマーを発症しやすくなる因子ではある
頭部外傷がアルツハイマーその他認知症の発症リスクであることは疫学研究で示されている。理屈としては、若い時は脳の認知予備能があるが、年とともに脳の余力が低下するため、アルツハイマーが発症しやすくなるとの説明がされている。

第4.労災における「鬱」

1.労災における症状固定の時期
療養を継続して十分に治療を行ってもなお改善の見込みがない場合とされる。
理由としては、症状が重篤であっても、将来大幅に改善する可能性があること、心理的負荷(業務のストレス)を取り除けば長くても2~3年で完治するのが一般的で、後遺症状が残ることは少ない。
→鬱が後遺障害になることは少ない?
→賠償問題有ると後遺障害となりやすい?

2.労災における後遺障害の存否の判定
後遺障害としては、a:精神症状の①から⑥のうち一つ以上あり、かつ、b:能力の①~⑧について障害があるかで判定される。
a:精神症状(いずれも一時的なものではなく持続的に症状がみられることを前提)
①抑鬱状態
持続する鬱状態(悲しい、寂しい、憂鬱である、希望がない、絶望的である等)、何をするにも億劫、それまで楽しかったことに対し楽しいという感情がなくなる、気が進まないなどの状態。
②不安の状態
全般的不安感、心気症、強迫など強い不安感が続き強い苦悩を示す状態。
③意欲低下の状態
全てのことに関心がわかず、自発性が乏しくなる、自ら積極的に行動せず、行動を起こしても長続きしない、口数も少なくなり、日常生活上の身の回りのことにも無精となる状態。
④慢性化した幻覚・妄想性の状態
自分に対する噂や悪口或いは命令が聞こえる等実際には存在しない物を知覚体験すること(幻覚)、自分が他者から害を加えられている、食べ物や薬に毒が入っている、自分は特別な能力を持っている等内容が間違っており、確信が以上に強く、訂正不可能でありその人個人だけ限定された意味づけ(妄想)などの幻覚、妄想を持続的に示す状態。
⑤記憶又は知的能力の障害
非器質性記憶障害:自分が誰であり、どんな生活史をもっているかすっかり忘れる全生活史健忘や生活史の一定の時期や出来事を思い出せない状態
非器質性知的能力障害:日常生活は普通にしているのに、自分の名前を答えられない、年齢は3つ、1+1は3のように的外れの回答をする状態
⑥その他の傷害(衝動性の障害、不定愁訴等)
上記以外の多動(落ち着きのなさ)、衝動行動、徘徊、身体的自覚症状や不定愁訴など
b:能力
①身辺日常生活
入浴・更衣など清潔保持を適切にできるか、規則的に十分な食事ができるかについて判定。
食事・入浴・更衣以外に動作は、特筆すべき場合に考慮・判定要素とする。
②仕事・生活に積極性・関心を持つこと
仕事の内容、職場での生活や働くことそのもの、その中の出来事、テレビ、娯楽等の日常生活に意欲や関心があるかについて判定。
③通勤・勤務時間の厳守
規則的通勤や出勤時間など約束時間の遵守が可能かどうかについて判定。
④普通に作業を持続すること
就業規則に則った就労が可能か、普通の集中力・持続力をもって業務を遂行できるかをについて判定。
⑤他人との意思疎通
職場において上司・同僚等に対し発言を自主的にできるか等他人とのコミュニケーションが適切にできるかについて判定。
⑥対人関係・協調性
職場において上記・同僚等と円滑な共同作業、社会的行動ができるかについて判定。
⑦身辺の安全保持・危機の回避
職場における危険等から適切に身をも守ることができるかについて判定。
⑧困難・失敗への対応
職場において新たな業務上のストレスを受けた時、ひどく緊張したり混乱することなく対処できるか等どの程度適切に対応できるかについて判定。

3.労災における後遺障害の程度
9級-α:就労している又は就労意欲ある場合
bの②乃至⑧の何れか一つが喪失
又は四つ以上について頻繁な助言が必要
β:就労意欲の低下又は欠落している場合
bの①(身辺日常生活)について、時に助言・援助を必要とする場合
12級-α:就労している又は就労意欲ある場合
bの②乃至⑧の四つ以上について時に助言が必要
β:就労意欲の低下又は欠落している場合
bの①(身辺日常生活)について、適切又は概ねできるもの
14級-bの①乃至⑧の一以上について時に助言が必要

4.実際の立証の問題
上記の労災での問題は、立証やあてはめの難しさと思われる。
①主観的要素が多く、立証活動に限界を感じる(陳述書頼みで証拠の信用性に難)
②労災認定必携では、症状固定時期でも非器質的精神障害は症状に変動があることから、良好な場合のみや悪化した場合のみをとらえて判断するのではなく療養中の状態から障害の幅を踏まえて判断するべきとされる。
⇒カルテで症状を細かく追っていく必要(医師・看護師がどの程度カルテに記載してくれるか次第?)。かつ、事故や事故により惹起される身体的・経済的問題以外の因子(身内の不幸など)で悪化したと取られないように主張立証に注意を要する。

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