交通医療研究会

PTSD①(症状・診断・後遺障害認定)

2023.05.18

第1.PTSD(心的外傷後ストレス障害)と自賠責後遺障害等級

1.PTSDの定義
【定義】
・トラウマティックな出来事に人が曝された時に生じる特定の症候群
(DSM−4による定義。資料1『こころのライブラリー(11)PTSD(心的外傷後ストレス障害)』・60頁)。
・トラウマによって引き起こされる変化を「トラウマ反応」といい、そのなかの一部が「PTSD症状」と診断される
(資料2『PTSDとトラウマのすべてがわかる本』・14頁)。

2.PTSDの診断基準
主要な基準は、次の2つである。詳細は後述(→第2・3)。
①ICD−10(WHO作成)
②DSM−Ⅳ(アメリカ精神医学会作成)

3.自賠責保険における等級認定 ~ 非器質性精神障害
PTSDの診断に対応した等級があるわけではなく、『非器質性精神障害』
として、障害の程度に応じて、9級、12級、14級が定められている。

【9級】
非器質的精神障害のため、日常生活において著しい支障が生じる場合
【12級】
非器質性精神障害のため、日常生活において頻繁に支障が生じる場合
【14級】
概ね日常生活は可能であるが、非器質的精神障害のため、日常生活においてときどき支障が生じる場合

ただ、労災も7級以上の存在可能性を肯定しており、自賠責もこれを否定するものではないと思われる。

4.非器質性精神障害とは独立にPTSDを論じる意義
『非器質性精神障害』の後遺障害等級認定基準がある以上、交通事故賠償の場面では、PTSDに罹患しているか否かを問うことなく、単に非器質性精神障害として等級判断を行えば足りるのではないか、という疑問が生じる。
横浜地裁平成20年2月15日判決も、次のように、PTSD認定基準への当てはめにはあまり意味がないと述べている。
『後遺障害等級認定は、後遺障害の内容と程度を、診断名を参考としながら、適正な等級を認定するものであり、必ずしも要件内容の明らかでないPTSDへのあてはめは、あまり意味を有するものとは思われない。症状、経過、日常の生活状況から、実際の後遺障害による影響を認定することをもって足りると解する。』
では、同判決の述べるとおり、PTSD該当性判断には本当に意味が無いのか、裁判例を見ながら検討したい。

第2.PTSDの症状、発生機序、治療法など 

1.症状
PTSDの主要症状は、①再体験症状②回避・麻痺症状③過覚醒症状の3種に大別される(資料1・60頁~、資料2・27頁~)。
①再体験症状(侵入症状)
トラウマ体験が何らかの形で繰り返し再体験され、しかもそれが侵入的に、つまり、その人の意思に反して生じる。
思い出したいときに思い出すというコントロールがきかず、勝手にその人の意識に「侵入」してくる。
再体験の最も激しい症状が「フラッシュバック」である。
②回避・麻痺症状
回避症状は、トラウマと関連した刺激やトラウマの想起につながるような刺激を回避しようとする意図的な行動から成る。
苦痛となる刺激を避けようとして、快適なものでも不快なものでも一切の感情を離断してしまうようになった状態が麻痺である。
③過覚醒状態
外傷体験に関連しない些細な刺激に対しても過剰な驚愕反応を示すなど、慢性的な自律神経系の過敏状態。常に緊張状態にありリラックスすることができないため、入眠や睡眠持続の困難などの睡眠障害を生じ、集中力の低下、警戒心の高まり、易刺激性による感情の不安定さも認められる。
2.発生機序
PTSD発症メカニズムは、現在まだ解明されておらず、研究途上である。
①PTSDが引き起こされるメカニズムには、脳の働きの乱れ(扁桃体。恐怖反応に関与する部分)の過剰活性、扁桃体を制御する内側前頭前野の機能不全)が関係していると考えられている(資料2・26頁)。
PET研究では、PTSD患者では扁桃体を含む辺縁系の血流増加と前頭前野皮質での血流低下を指摘する報告が多い(資料1・75頁)。
②海馬組織における障害が、扁桃体や扁桃体と相互の繊維連絡をもつ前頭前野の機能異常を引き起こし、海馬障害による認知・記憶の異常だけでなく、再体験や情動反応、適応障害などのPTSD症状の形成と発現に関与しているとの仮説がある。
また、海馬障害が引き起こされるメカニズムについても、コルチゾール分泌反応の減弱、グルココルチコイドの過剰分泌、などの仮説が唱えられている(資料1・72頁~)。
③PTSDになると脳の海馬が小さくなるという研究もされてきたが、近時は、海馬がトラウマによって小さくなるという説より、個人差によってもともと小さかったとする説の方が有力である(資料2・26頁)。
3.診断手法と心理検査
⑴診断手法
主に用いられるのは、『ICD−10』、『DSM−Ⅳ』の2つである。
ア.ICD−10(WHO作成)
①疾病及び関連保健問題の国際統計分類の第10版。
ICD−10におけるPTSDの診断基準(「DCR−10」と呼ばれる研究用診断基準)は、資料3『ICD−10(DCR−10)の診断基準』のとおり。
②自賠責で主治医に作成が求められる『非器質性精神障害にかかる所見について』(資料5)にはICD−10に基づく診断名の記入欄がある。
PTSDに関連する診断分類は、次のとおり。
【F43】
 重度ストレスへの反応及び適応障害
【F43.0】
 急性ストレス反応
【F43.1】
 外傷後ストレス障害
  1.心的外傷後ストレス障害 [F431]
  2.頭部外傷後症候群    [F431]
【F43.2】
 適応障害
【F43.8】
 その他の重度ストレス反応
【F43.9】
 重度ストレス反応、詳細不明

なお、自賠責の『非器質性精神障害にかかる所見について』(資料5)は、労災における意見書(資料6・178頁)よりも照会項目がやや詳細になっている(資料7『後遺障害等級認定と裁判実務・166頁参照)。
イ.DSM−Ⅳ(アメリカ精神医学会作成)
アメリカ精神医学会の発行する「精神障害の診断と統計マニュアル」第10版。
DCM−ⅣにおけるPTSDの診断基準は、資料4『PTSD(外傷後ストレス障害)診断基準のとおり。
A基準からF基準の6基準をすべて満たせば、PTSDと診断される。
ウ.ICD−10とDSM−Ⅳとの違い
①外傷的出来事の要件(A基準)が、ICD−10よりも、DSM−Ⅳの方が緩やかである。
②労災における非器質性精神障害の後遺障害等級では、ICD−10による分類におけるF0~F9の障害群を、等級認定の対象障害としている(資料7『後遺障害等級認定と裁判実務』165頁)。
⑵心理検査
ア.出来事インパクト尺度(IES−R)
PTSD症状がそれぞれどのくらい強く現れているか、患者自身が質問用紙に記入回答する形式で行われる検査(資料2・48頁。資料8『IES−R』)。
PTSDの高危険者をスクリーニングする得点基準(カットオフポイント)としては、24点が推奨されている。ただし、カットオフはあくまでもスクリーニングの目安であり、診断に代わるものではない。
イ.PTSD臨床面談尺度(CAPS)
22項目の質問からなる面接法。すべて行うと60~90分を要する(資料2・48頁)。
大阪地裁堺支部平成22年2月19日判決は、「CAPSにおいては、60点を超えるとPTSDが確実であり、100点を超えるとかなり重症であるとされている」と認定している。
4.PTSDの治療
⑴治療法
治療法は、資料1・103頁以下、資料2・45頁以下参照。
ア.心理教育
イ.認知行動療法
・イメージ暴露法
・実生活内暴露
・認知療法(認知再構成)
ウ.EDMR療法
Wikipediaによる説明は次のとおり。
『 PTSDを始めとして、パニック障害、恐怖症、解離性障害などへの適用も報告されている心理療法である。
開発の初期から効果研究による実証がされており、その後もいくつもの効果研究がEMDRの有効性を明らかにしている。国際トラウマティック・ストレス学会は、2000年にEMDRを有効なトラウマ治療法として認定した。
左右に振られるセラピストの指を目で追いながら、過去の外傷体験を想起するという手続きを用いることで知られている。ただし、正規の過程はアセスメントや日誌記録などを含む8段階から構成されており、眼球運動による介入が行われるのはそのうちの第4~6段階である。また、想起された記憶だけでなく身体感覚や自己否定的認知なども眼球運動による脱感作のターゲットになる。近年では、指を左右方向に振って追従させることに必ずしもこだわらず、クライエントの特性(視覚障害者、ADHD児など)に合わせた工夫も提案されている。子どものトラウマに対する心理療法であるバタフライハグも、EMDRの変法である。』
エ.TFT(思考場療法)
オ.集団療法
カ.薬物療法
⑵治療効果
PTSDには、国際トラウマティック・ストレス学会理事会が設置した「PTSD治療ガイドライン特別作業班」作成の『PTSD治療ガイドライン』が存在する。
もっとも、いずれの治療法も一定の限界があり、すべてのPTSD患者に有効な治療法はない、とされている(資料1・117頁)。
⑶治療効果と交通事故賠償
PTSDは、非器質性精神障害である。それゆえ、「回復不可能な器質性障害」が存在するわけではなく、回復可能性があると考えることができる。
交通事故賠償の場面では、この「回復可能性」のため、症状固定時期、労働能力喪失期間の2点において問題が生じる。
ア.症状固定時期
回復可能性がある以上、「治療してもこれ以上は改善が見込めない」という症状固定という概念になじまないのではないか。
この点、PTSDを認定した次の裁判例では、症状固定時期について次のとおり判断した。
【京都地裁平成23年4月15日判決】
『症状固定時期は、PTSDという疾患がその性質上、そもそも症状固定という概念になじまない面があるが、損害算定の便宜上、確定診断があったとき、ないし、症状の変動が乏しくなったことが確認されたときに症状固定したものとして扱うのが相当であり、本件においては、原告の主治医である己川医師の見解に従い平成18年年末ころに症状固定があったものとして扱うこととする。』
イ.労働能力喪失期間
回復可能性がある以上、就労可能期間を通じて労働力喪失率が一定のまま継続する、とはいえないのではないか。
この点については、第5で述べる。

第3.自賠責後遺障害等級におけるPTSD

1.後遺障害等級
第1で述べたとおり、PTSD特有の後遺障害等級はなく、「非器質性精神障害』として、障害の程度に応じて、9級、12級、14級が認定される(7級以上を否定するものではないと考えられる)。

2.自賠責のおける等級認定手法
⑴専門部会審査の特定事案
自賠責では、非器質性精神障害ケースを、後遺障害の専門部会で審査する『特定事案』としている。
⑵非器質性精神障害にかかる所見について
自賠責では、主治医に『非器質性精神障害にかかる所見について』(資料5)の作成を求め、専門部会で等級の該当性判断を行っている。
⑶自賠責における等級認定手法
ア.労災における等級判断
精神症状がある場合、
①就労している者又は就労意欲のある者
②就労意欲の低下又は欠落により就労していない者
に区分し、8能力に関する判断項目(身辺日常生活と、それ以外の7項目)に対する助言・援助の必要の有無・程度に応じて等級判断する(資料6・148頁、資料7・163頁参照)。
イ.自賠責と労災との比較
自賠責保険の障害認定は、労災補償の障害等級認定に準拠する。
しかし、自賠責の場合、賃金労働者以外にも、高齢者、主婦、未就労若年者なども評価対象となる。そのため、労災補償のような、一般的な賃金労働者の就労状況を前提としているように思われる判断項目に基づく評価が、果たしてどこまで適切に行えるのか不安が残る(資料7・171頁)。
ウ.自賠責の認定手法
自賠責では、結局、診療医からの回答その他の資料をもとに、最終的には専門家による損害保険料率算出機構の審査会で全体的な状態を評価し、労災補償の障害認定基準への当てはめを行いながら、最終的に自賠責保険制度としての等級評価を決定する。
等級評価判定の目安として、次の参考例が挙げられているが、労災方式で評価した場合の格付けを無視することはできないであろう(資料7・1  71頁)。
【9級】
非器質的精神障害のため、日常生活において著しい支障が生じる場合
【12級】
非器質的精神障害のため、日常生活において著しい支障が生じる場合
【14級】
概ね日常生活は可能であるが、非器質的精神障害のため、日常生活においてときどき支障が生じる場合

第4.交通事故賠償におけるPTSDをめぐる争点

1.裁判ではPTSD認定例は多くない
交通事故訴訟では、医師がPTSDの診断名をつけた場合でも、PTSD罹患を認定した例は少ない。
裁判例でPTSDを否定する主たる理由は、ICD−10やDSM−Ⅳの診断基準に該当しないからというものである。中でも、
①交通事故の程度が、ICD−10やDMS−Ⅳの基準の定めるような、外傷的な出来事に該当しない
というものが多い。その他にも、
②症状発症時期が事故から相当経過しており因果関係が認められない
③PTSDの典型症状(フラッシュバックなど)が認められない
などの理由も多い。

2.PTSDが否定されても非器質性精神障害と認められる例もある
もっとも、PTSDは非器質性精神障害の一類型にすぎないことから、PTSDには該当しないとしても非器質性精神障害がすべて否定されるわけではなく、うつ症状などの非器質性精神障害の後遺障害が認められているケースも少なくない。

3.非器質性精神障害一元的ではなく独立にPTSDを論じる意義
では、第1で引用した横浜地裁平成20年2月15日判決が「PTSDへのあてはめはあまり意味を有するものとは思われない」と述べたとおり、実務的にはPTSD認定基準への当てはめは実益が無いのであろうか。
この点、小職は、第5で述べるとおり、個人的意見として、少なくとも次の点で意義があると考える。
①因果関係の認定→第5・1
②後遺障害等級表か及び労働能力喪失率の判断→第5・4
③労働能力喪失期間の判断→第5・5
④素因減額の否定→第5・6
⑤介護費用→第5・7
そこで、被害者側がPTSDの主張をしている場合は、まず、PTSD認定基準のあてはめを行うべきであると考える。
大阪地裁平成20年1月23日判決も、『(DSM−Ⅳ、ICD−10の)各基準は、交通事故によって当該被害者に生じるストレス症状につき、後遺障害の有無・程度を判断する前提として、PTSDの該当性を判別するものとして有用』と述べている。

第5.高次脳機能障害の症状の評価

神経心理学的検査が、常に被検者の最大能力を示すという保証はなく万能ではない。被検者の体調や検査に取り組む意欲などの影響で、実際の能力よりも低い検査値が示されることもある。

 資 料

1.こころのライブラリー(11)PTSD(心的外傷後ストレス障害)
2.PTSDとトラウマのすべてがわかる本
3.ICD−10(DCR−10)の診断基準
4.PTSD(外傷後ストレス障害)診断基準(DMS−Ⅳ)
5.非器質性精神障害にかかる所見について
6.労災補償障害認定必携
7.後遺障害等級認定と裁判実務
8.IES−R

daichi library
youtube
instagram
facebook
弁護士ドットコム

お電話

お問い合わせ

アクセス